兄弟の順番で人生が変わる❓
割と年を取ってからわかったことは兄弟の中で真ん中で生まれた子は親からの愛情が薄い子で一番上の子は最初の子だから親の喜びが大きいしまた一番下は最後の子だから親にとっては愛しい子、真ん中の子も下の子が生まれる前まではよかったのかもだから私は今でも下の子に対しては嫉妬めいた感情があって今でも仲が悪いって言うより音信不通で付き合いはなく、そうなってもあまりさみしいとは思えないなぜかと言うと大人になって迄兄弟喧嘩をしていたから!特に私の家は商売をやっていたので跡取り息子が必要で二番目に男の子が生まれてこの家はどうやら安泰になのでその次に生まれた私は3番目でそれで妹が出来なければ私も安泰だったのに世の中そんなに甘くはなく現実は厳しかった!妹が出来、兄弟は4人になる私の時代では4~5人兄弟が最も多かった。当時は3人兄弟は少なかった方、今と比べたら羨ましい出生率!何しろ生めよ増やせよの時代だったので家族が多いのは当たり前、私の家では更に母のお母さん迄一緒に暮らしていて7人家族でかなりにぎやかだった❕ところでかなり後から知ったことは兄弟がもう一人いると言うことだった女の子だが私がものごころがついたころその存在が分かって私達兄弟はその子も一番下の兄弟って知っていたのだがあるとき迄その子は自分が私の家の子供ということを知らなかったのです。知った原因は彼女が高校生の時に何でも戸籍謄本が必要ということがあって彼女の家の者が先生にそれを渡した迄はよかったのだがその書類を先生がうっかり教室の自分の机に無造作に置いてってしまったのを偶然彼女が見てしまい自分が私の家の子であることが発覚、私の両親がもらわれていった彼女の家に彼女から呼ばれ相当私の親はなじられたらしい!母親は泣きながら帰ってきたのを今もはっきりと覚えている、彼女が言うには「例え貧乏でも私たちと一緒に暮らしたかったと!」私も彼女も妹として一緒に暮らして居たらかなり違った人生を歩んだと思うからでも自分のお腹を痛めて産んだ子供をよその人になぜあげたのか非常に不思議だったのだけれども色々わけがあったようで彼女を欲しがった人はうちの常連客で仕事の帰りは必ず私の家に必ず寄って私にも話しかけてきたり子供が好きな人だったのは私も覚えていて実は奥さんは連れ子がいたが既におとなでそのおじさんとの子供は出来なかったらしい私の家に沢山子供がいて一人ぐらいいいだろうと私の両親のこともよく知っているし私の家の事情も知っているしその点は安心感があったんだと、裁判もしたけども結局はもらわれていったんだけど彼女にしたら理屈の通らない話で怒るのも当然、今、考えても彼女にはかわいそうなことをしてしまったなと、もうそのことはとりえしがつかないわけだから、したすら謝るしかないです。私の上から3番目の位置は悲しいもので小さい頃から自分を目覚めてしまい保育園に通うときも身支度は自分でする例えば髪の毛は自分で結っていて親からしてもらったという記憶が全くなくその頃からずっと一人で起きて支度をする事が小学校に入ってもしていたみたい、かかわってくれる親のすがたの記憶がまったくないし兄弟の姿も全く見られない、本当に一人だったんだな。だから今だに愛情表現が出来ない下手くそ、甘えることが出来ない可愛くない女性になってしまいました。