かき氷はいつごろから食べてたの?
私が小学生のころ実家の2軒隣りに食道兼軽喫茶店があって何回か入ってかき氷を食べた思い出があるけど、その時の氷を削る機械は皆さんがご存じの手動で動かすものでした。今も手動で氷を削ってるお店が多いですよね、又、家庭でカキ氷ができるという触れ込みでその機械を購入したけれどあんまり用を足さなかったのでいつの間にか使わなくなってしまった。やっぱりカキ氷はお店に行って食べる方が風流があっておいしいのかも、夏の食べ物は家で食べるよりも涼しさや自然の中で清流の流れを見ながら食べる、そんな背景があると家で食べてるものもそれ以上に美味しく感じられるのかも、その点ではそうめんが一番ですかね、店屋の庭で筍の筒に流す例の流しそうめん、何人かですると本当に楽しいです。ちょこっと何かを利用したり場所を変えたりするだけでおいしさが変わって来るので不思議ですね!所で日本人が大好きなカキ氷はいつごろからあったのでしょうかちなみに私の家では冷蔵庫(その頃は電気使用の冷蔵庫はなくしかも木の素材でした)があって氷やさんが氷を毎日運んできたのを今も思い出します。清少納言の「枕草子」(平安時代)の中で「あてなるもの削り氷(ひ)にあまずら入れて新しきけなまりに入れたる」・・・けなまり=銀のうつわ。「刀子」で氷を削ったと又、あまずらの原料はナツツタ20年以上育てた幹から採取した樹液を煮詰める。3㎏の樹液から2ミリグラムの量のあまずらしかとれないそうで 「氷室(ひむろ)」は奈良平安時代に氷を保存する倉庫の事大きさは直径3メートル深さ3メートルすり鉢状の穴におよそ8トンの氷を保存していたとかちなみに「一駄(いちだ)」とは馬1頭が運ぶ氷の量 およそ90キログラム、こもに包んだ氷を夜運んだそうです。貴族の氷の利用として「氷を布に巻いて額に付ける、氷を削ってご飯にいれて食べる」、江戸時代では「お氷様」と呼ばれはるばる加賀から江戸まで運ばれた。徳川家康は主に贈答用に使ったとか。。。この時代は電気冷蔵庫がなかった為、いかに氷が貴重だったかうかがえます。