一昔前の女性の本当の話

ひと昔というよりそこまでいかないけれど、いうならば戦後生まれとか団塊の世代かな小学校時代に経験したあの悪の牛乳「脱脂粉乳」給食に毎日出てきてほとんど飲めなかった嫌な思い出が苦々しく今も私の記憶の中にしっかり根ずよくあります。あの牛乳を飲んだ経験のある人たちの話で今の若い人たちにとっては考えられないことが私の時代にはあったので自分の記憶を頼りに辿って見ようと。給食の話が出たのでひも解いてみると明治22年にさかのぼり発祥地は意外にも山形県鶴岡市の大督寺に建てられた私立忠愛小学校で、生活困窮の子どもに無償で昼食をふるまわれたのが発症とされているとか。おにぎりと味噌汁お新香プラス焼き魚と今の給食から見ると考えられないメニュー、今は豪勢その土地の生産物が提供されてるようで例えばかにや和牛肉等々こんなにも時代の差というのでしょうか?昔を知ってる人にとっては「かないません!」と言う事でその時の「運」なんでしょうね。たどらない方がいいくらい昔と今の格差、問題外!でも30年間も給料は上がらず物価も上がらなかったんですよね。その代わり消費税が台頭してきたんだから印象的には生活は余りよかったとは言えないしただ言えることは今より暮らしはまあまあだったような、買い物に行くときに10年ぐらい前は3千円内で足りたのに今は1万円持たないと不安(決して贅沢をしているわけではない)昔と今の差はスマホやカードも無かったのでなんとなくのんびりしていたような気がします。私が10代の頃から世の中が動き出してるのかな?新幹線が走りだし東京タワー完成、大阪万博、高速道路の建設、公団の建設も、それから10年後ぐらいにバブルの到来、私も赤坂のマンションや大きな駅そばのマンション購入に熱中しました。若い女子でもそんなことが出来たのだからその時に存在していたということは本当にラッキーでした。そのころの適齢期というのがあって23歳で嫁に行くのが普通で25歳になると親から「早く、行け」と親からのやんやの催促を受けるのです。私の友人で福島出身、23歳過ぎて実家に帰省した時、「みっともないので帰ってくるな!」と言われたと聞いたことがあります。今から思えば勝手に作られたおきてのようなものそんなものに縛られていたんです。信じられないでしょう!もう一つ信じられないものがそれは「花嫁修業」男性は何もない。今の人から見ると「それ、何!」と思うでしょう、例えば生け花、お茶は確実に習う(会社で奨励してた)他に和裁、洋裁も(私の姉は勤めを辞めて、和裁を習っていた)ありえへん‼

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