固い仕事の人がなりやすい?

認知症は認知症という言葉でかたずけられてしまうけどそれぞれみんな特徴があって同じではないのでその方にあった世話をします。施設は金銭や銀行の通帳、家や土地の権利書などお金にまつわるものは一切、不要、各個室があり一応「終の棲家」ということになりここの施設では「看取り」の方が多い。例えば看取りの方が食事や水分が取れなくなったり、あるいは病気になったり、栄養が取れなくなったするとふつうは入院してそれに合った医療を受けるが点滴などは延命治療になるので受けられない訳です。世話をする私たちが一番考えてしまうところで、生と死のはざまで入院すれば専門の医療をしてもらえて本人も楽になるのにって‼不憫になるが家族の希望なので仕方が無いと言うこと、時々、映画にもなった「楢山節考」を思い出します。息子が年老いた母親を背負って山中に入り置いてくると言うよりも捨てるという行為(どう見ても)現代とおなじで父親はどうだったんでしょうか?でも昔の寿命は短いはず!何歳ぐらいで捨てられたのでしょう?東北地方では60歳を(木の股年)と言われこの年になると山の木の股に挟んで捨てると伝えられていてインドが源流と、でも時代が変わるとこんなことをされてしまうのですね!「おーこわ」私なんてとっくにこの世にいません!だから60歳が還暦何でしょうか又地方によっては捨て方が違っていて、農作業が出来なくなる(60歳の限りではない)と口減らしのため棺桶に入れられて急斜面から投げ落とされるとか。しかし認知症になったのを本人は分からないんだし、酷い認知の方は子どもの顔も分からない、勿論夫も分かりません。元経営者の方は入所されてる施設が自分の会社と思っていていまだに経営者風の態度でこれも病気のなせる業なのでしょう?本人たちは周りの人たちと上手くやろうと言う意識はなく周りは関係なく自己中心で生きていられるのはある意味幸せな事ですね‼

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